つまり、木の葉のように小さな、わずかなものでも、真心が入っていればよい、という意味のようです。
素敵ですね!
では、真心って何でしょうね?
そんな簡単に伝わるんですかね?
では、こうしましょう。
あの方に感謝しても感謝しきれないくらいの感謝があります。あの方のおかげで私は皆から尊敬されるようになり、お金持ちになりました。
そういった気持ちがあります。なのであの方にプレゼントをしたいです。
では、何をあげますか?
迷いますよね。だって、私はお金持ちで地位も名誉もあります。なんなら家とか車とかだって構いません。余裕ですよ。
でも、あの方が欲しがっているものは違うと思う。
ああ、そういえばあの方は、分厚い手帳をいつも使っていたっけな。
それだった、それに見合う万年筆なんかどうだろうか。使うにしろ使わないにしろ、気持ちは伝わるかな……。
そして、あの方に万年筆をプレゼントしました。あの方は喜んで使ってくれいるようです。
では、こうならどうでしょう?
あの方に就職のお世話になりました。なにかお礼をしたいけど、まだお金がありません。でも気持ちは伝えたい。そこで今目に付いたのは就職祝いに妹からもらった万年筆。妹もどこからかもらったのですが、使いようがなく私に回ってきたようです。私も使わないですし。でもそこそこ高そうな感じです。
そして、あの方にお礼を込めてその万年筆をプレゼントしました。
あの方は「ありがとう」と笑顔になりました。
おそらく後者のあの方もその「万年筆」を大事にするでしょう。使わないかもしれませんが。
なんか、書いていて思ったのですが、別に「木の葉に包める」ような、小さく些細なものがゆえに真心をアピールせざるを得ない形になってますけど、高いものでも真心はありますし、高すぎても何もないこともあるでしょうし。
また、大事なのは「受け取る」側がかかわってくるような気がします。
真心を渡すくらいだから、きっと受け取る側もしっかりした方に違いないとは思いますが。
この諺の字ずらだけ見ると送り手の一方的な強さに見えなくもないですが、そうではないような気がします。逆に「受け手」の心構え次第なのかもしれません。

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