邪悪な眼は見ないようにしている

先日、ある出来事があって、

邪悪な眼
あまり書きたくはないけど。書いてしまうと残るからね。でも、ある意味、私の分岐点になると思う事柄だったので、将来「ああ、この時から変われたのね」と、いい意味になればと思い、残すことにする。状況はというと、これまた思い出してしまうので、書きたく...

その善後策として、

確かに生きやすくはなったかも
先週にあったある意味事件を一昨日書きました。それで、取っている行動の一つが、とにかく避ける事。ぶつかりそうな人がいたら、大きく逃げる。電車で厄介そうな人、面倒くさそうな人がいたら、なるべく避ける。空いていたら場所を移動し、無理そうだったら背...

という、今までにない行動をとるようになった。
正直それまでは、無謀な動きをする人がいたら、とりあえず顔、そして眼を見てしまっていた。
眼は多くを語る、と思っていて、「何でそんな無謀な行動するんだろう?」って思っていて、すれ違いざまに人にぶつかりに行こうとする人や、電車で絶対ここからどかないぞ、という人とかいたら顔を見たりしていた。

でも、あのことがあってから、顔をそむけるようにしてきた。
君子危うきに近寄らず。君子でもなんでないけど近寄らないことが一番と実感した今、だいぶ効果があることに驚いている。
やべーやつ来たな、と思ったら思いっきり距離を取るようにし、それが無理なら、なるべくそっぽを向くようにしている。
電車でも、本当に性格のやばい奴が常駐しているので、彼からは距離を置くようにしている。
彼は満員電車でも常に足を出し、ぶつかってくると睨みつけながら首を傾け、とぼけた顔で睨んでくる。
間違って、押されて彼の前に来てしまったら、慌てて逃げるようにしている(周りの方、ごめんなさい)。

約一ヶ月だけど、心のとげとげしさが引っ込んできた。やはり邪悪さって、うつるんですよね。
闘うことが馬鹿らしく、逃げるのが正解、とこの歳になってようやく気が付いた2025年の冬です。

 

コメント