私は起きている大半を他人に使っている

これは、いろんな意味に捉えられるのだが、固定したい。

まず、自分と家族、仲間等いわゆる「ウチ側」に該当する人たちの事柄を考えたりすることを「自分」としたい。ある意味直接的に自分が関与できることだ。

それに対し、「電車で動かない奴がいて、どうにかしたい」とか「スマホ見ながら向かってくる人を制したい」とか「わけわかんないことを言っているおじいちゃん社員をとっちめたい」とか「飲みに行った横の席のうるさい若者を怒鳴り飛ばしたい」とか、そういった、別に考える必要もない、永続的でもない(その場離れたら忘れてしまう)ような事柄に関わっている人を「他人」としたい。

本当に思うんですよね。ひとたび外を歩いたりすると、こういった「他人」に気を取られてしまっていることに。

それは、結局外に出た時だけではなく、社内とか家にいても「残渣」として残っていて、うざったい気持ちが蓄積され、また外でるとその醜い埃が舞って、心を惑わせ、更に増えてしまうという悪循環に陥ってしまう……。

もったいないなあ、自分。
そう感じる。

ただね、「ウチ」とのかかわりがまだ、あるからね。それが「ウチ」:「ソト」=1:9くらいでも耐えられると思っている。

大事な事だ、感じる。
ただ、「ソト」に対する無益な思考は減らしていきたい。
それは、死ぬまでのテーマだと思っている。

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