言葉的にはその通りだが、意味の解釈はどうなんだろう……。
意味は、
「水は容器の形によって、どんな形にでも順応することをいう。人も交友関係や環境によって、善にも悪にも染まりやすい」ことだそうだ。
私は「水のように、どんなところでも対応できるように頑張っていこう!」系だと思ったら、環境依存の性を問うような諺だった。
で! と思ってしまう。
周りが悪だったら自分も悪になってしまうのだろうか?
丁度話題となっている、高校野球の暴力問題があるが、中にはそんなこと関係ない選手もいるだろうし。それに、知らなかった選手もいるだろうし。
でも、結局彼らも悪という環境がそこに在るならば、流れ流され悪となってしまうのだろうか?
本人たちの自己意識が引くならば、親とか周りが救い上げないとね。
どの状況においても冷静な第三者って必要と思う。
今回の場合、OBとかが該当すると思うのだが……。
個人的には、良くも悪くもない環境は成長のきっかけもないので、何とかしたいな、と思う今日この頃です。
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